スターリンは「キリスト教徒的紳士」だった?
戦争勢力の暗躍と、乗っ取られたホワイトハウス シリーズ!日本人のためのインテリジェンス・ヒストリー⑦
この手紙は日米開戦の翌年一九四二年三月十八日のもので、まだルーズヴェルトはスターリンと会ったことがありませんでした。初対面は一九四三年のテヘラン会談です。それでもスターリンが自分に好意を持っていると思い込んでいたのは、『スターリンの秘密工作員』によれば、二つ理由があります。
第一は、親ソ的な側近の「助言」の影響です。
ブリットの後任の駐ソ大使ジョゼフ・デイヴィズは回顧録『モスクワ派遣(Mission to Moscow)』(Garden City,1943, p.217)で、ソ連を賞賛して大粛清を弁護し、スターリンは信教の自由と自由選挙を重視していると主張し、「彼はおちついた賢明な強い精神の持ち主という印象を与える。彼の茶色い目は極めて慈愛深く穏やかである。子供は彼の膝に座りたがるだろうし、犬もそばに寄りたがるだろう」と述べています。
また、ホワイトハウスに居住して常にルーズヴェルトに助言していた側近中の側近ハリー・ホプキンスは一九四一年七月、自ら志願してモスクワを訪問し、アメリカの対ソ支援について協議しました。独ソ戦開始の直後で、アメリカはまだ参戦していない時期です。帰国後はスターリンを好意的に語り、戦争中は対ソ支援を熱烈に推進しています。
一九四二年七月に行われたニューヨークでのソ連支援大会でホプキンスは、「何があろうとも、我々は持てるすべてのものを諸君と分かち合う決意です」と述べています(『スターリンの秘密工作員』p.22)。
社会学者で歴史家のロバート・ニスベットによると、ソ連側はホプキンスの滞在中、下にも置かない歓待ぶりでした。無神論のソ連に対するアメリカ国民の反発が強いので対ソ支援に慎重だったルーズヴェルトは、ホプキンスの帰国後に態度を一変させています(「ルーズヴェルトとスターリン(Ⅰ)(Roosevelt and Stalin (I))』、『現代 (Modern Age)』Spring, 1986, pp.104-105)
会ったこともないのにスターリンが自分に好意を持っているはずだと思い込んだ第二の原因は、ルーズヴェルトの強烈な自信です。
ルーズヴェルトはスターリンを信じる以上に、自分のカリスマ的魅力と説得力を信じていました。
直接会えばスターリンは必ず自分に魅了され、すべてうまくいくという自信がありました。
テヘラン会談やヤルタ会談で、ルーズヴェルトはスターリンの歓心を買うためにわざとチャーチルと距離を置き、チャーチルの目の前でイギリス植民地主義をけなしたり、チャーチルの顔を潰すような笑えないジョークを言ってみせています。英米が組んでスターリンを威圧するつもりはないと示すための術策でしたが、あまりにも見え透いた安っぽいやり方でした。
ソ連と通じた側近たちがルーズヴェルトをおだてて自惚【うぬぼ】れさせたのか、それともルーズヴェルトが自惚れているところにつけこんでおだてたのか、どちらが先だったかわかりませんが、いずれにしても愚かなことです。
一国の指導者たるもの、卑屈では困りますが、自信過剰でも、相手を見誤ってしまう恐れがあるのです。ルーズヴェルト大統領のこうした欠点をよく分析した上で、スターリンについてのイメージを巧妙に植えつける対米工作が、ソ連と、ルーズヴェルト大統領の側にいたソ連の工作員たちによって行われていたわけです。
(『日本は誰と戦ったのか』より構成)
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